宮崎の旅からの… 北海道地震

いろいろと感じることや、いろいろが目まぐるしすぎるここ最近…
すべてを残せずにいるなか、これは残しておかないと。

8月末にいった、宮崎・熊本(椎葉村・高千穂)の旅。
あれは夢だったんじゃないか、と思うような… もう半年は経っているかのような、不思議な感覚と余韻。
「人間にとっての幸せとは何か」という根本的な問いにつながる、ほんとうにいろんなことを考えさせられた旅だった。
そして、たぶん、思い出すため…の旅。

山を見渡しながら「みえるところはだいたいウチの土地」といい… 厳しいことを言ったあとは必ずケラケラと笑う、95歳のクニコおばば。

わたしが生きていることなんて塵より拙いと思った、エネルギー爆発で溢れつづける滝とえんえんつづく柱状節理の高千穂峡。

プラーナだけで生きる… が、確かにここならできるかも知れないと… そして「おかえり」と言っているような気がした、幣立神社や椎葉村の巨木たち。

神楽のあとの満月と、天岩戸神社の神楽の舞台と大イチョウをみつけたときのおかしな感覚… みぞおちあたりにこみあげる苦しくて硬いものと、大井町の三嶋社にあったイチョウのフラッシュバック。

あの世とこの世の境みたいな天安河原と… 誰がどやってあけたかを考えたら宇宙までトリップしちゃうほどに眩しい、上色見熊野座神社の穿戸岩の光のリング。

一瞬、わたしたちはさっき野生の馬たちをみたあと崖から落ちて天国にきてしまったんじゃないかと思った… 阿蘇山の噴火口を目指す山道に拡がる雲海。

「鶴富姫伝説」に想いをはせた…
でも伝説なんかではない、リアルを目の前にした、
忘れられないダイジェストがこの6つ。

そんなスペクタクルすぎる旅から帰ってきてすぐ…
関西の台風と、
故郷、北海道の大地震。

…記してないことも含めてなんとなく整理できたことを備忘録としてまとめると。

祖父の口から、いつも厚真あづまと聞いていた、わたしのルーツでもあるところの、あの山半分なくなっているような土砂崩れをみて… そこに知ってる人がいようがいまいが、日本じゃない海外だろうが、この地球のどこかで、たいへんな思いをしている人たちがいるっていうこと。村上老師がおっしゃっていた「こどもと女を守るために男はいる」「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない -宮崎賢治-」が、どしんと胸に入ってきた。

そして、被災地以外に暮らす私たちにできる大切なことのひとつに「忘れない」ということがあると。
自然の膨大なエネルギー。原発事故。恐ろしい津波。停電生活の不便さ。そしてなにより…あのとき確かに変わった「日常に感謝する」という意識。それをひとりひとりがしっかりと記憶にとどめておくことで、社会全体を少し良い方向に変えることができるのではないかと思った。

人からどう思われているかとか、他人の意見に惑わされたり、ご利益や知識に依存したりするのではなく。
まして、願い事が叶うのがスピリチュアル… なんかではなく。

自分の頭で考え、感覚を大切に研ぎ澄まし。自分の足でしっかりと立って、自分のなかにある神聖さとつながって1日1日を精一杯生きることが、本来の自分を生きるということなんだな、と。それができてやっと、宇宙とのエネルギー循環ができて、無理なく調和していけるんだな、と。

見えている世界も見えてない世界も、全くおなじなんだな、と。

これが、クニコおばばと、大自然と、さまざまな神々(三木さんを含む)から教わったこと。
ミラクルはつづく…毎日が、スペクタクル。