ないけど「ある」もの

バナネイラというお店をはじめて…バナネイラに訪れてくれる方々と毎日を送るなかで。要は、わたしは笑っていいとものタモリのようなもので、お客さんたちはゲストなのだけど。タモリとしてこの2年で確信したことは、「出会うべき人同士は、わざわざ引き合わせなくても勝手に出会う」「ほんとうに知るべき情報は、自然に入るようになっている」そしていちばん思うのは「バナネイラという場所は、そういうことが異様に起こりやすい場所である」ということ。

それが度重なるにつれて、タモリなわたしは「あ、この人とあの人はいつか会うだろうな」とか「この人とあの人は1秒で仲良くなるだろうな」とか「この人とあの人があったら凄いだろうからきっといつか会うだろうな」とか「この人なんだろう… 普通のお客さんじゃないよな」とか、そういうふうに思うと、ほんとうに実るし、誰かから紹介されてバナネイラを訪れていたりとか、なんだか凄いご縁があったことがわかったりする。

で、これって、実は秘密があって。

最初に書いたふたつは、大小別としてどこでもそうだと思う。でもみっつめの「バナネイラという場所は、そういうことが異様に起こりやすい場所である」っていうやつは、わたしが意図してそうしたことになる。自分のお店を、そういう場所にしたかったから。というか、ほんとうにそうなるかは半信半疑だったけれど、実践したからそうなったんだと思ってる。

その実践というのは…「カタカムナのちからを使った」ということ。

なんだ?スピリチュアルか?と思う人もいるかもしれないけど、もう、いま、スピリチュアルはほわっとしたものでも絵空事でもなんでもなくて(もちろんほわっとさせて悪徳なものとか協会ビジネス的なものは具合悪くなるほどあるけど)科学では説明できないけれど「ある」もの、みえないけれど「ある」もの、その、なんだかわからないけどぜったいに「ある」よね、ってものに、多くの人が気づいてると思う。チャクラとかオーラとかもこれにあたるけど、どこにもない(3次元では)けど、「ある」ものは、ちがう次元にあるから、説明できないだけで… このちがう次元では、時間も距離もサイズ感も、いまの次元とはまったく異なってて(異なってるというよりは無いのか)ただただ、わたしのようななんにも見えないし聞こえない人にとってはいつまでもそういうものってただの不思議でおわってしまったり、その不思議に触れたくていろんなところに行ってみたり誰かに会いに行ってみたりして。

ああ、ちょっとブレてしまった。ええと、軌道修正すると。わたしは、みえたり聞こえたりはまったくないけど、そうじゃない人たちがまわりに多く存在していて、もう信じるとか信じないとかじゃなく、目の当たりにしてそういうものが「ある」のを知ってしまったから。説明なんてできないし、理解なんてできないけど、とりあえずその「ある」ものを「あるんだ」と認めて世界をみてみると、不思議とか偶然とかが消える。ただただ「凄いなぁ…面白いなぁ…」と、感心する。それを続けてきて、だんだん「これは重要なんだな」とか「渦がきてるな」とか「やっぱり淘汰されたな」とかを俯瞰して、ちょっとやそっとでは驚かなくなってるんだけど、なんだかバナネイラという場所をつくってからは、それを超える「おおおおおお!」ってことがほんとに多い。

と、ここまでかいて、その「おおおおお!」の原因だとおもわれるカタカムナについては触れずにおわることにする。明日はまかれるままに渦にのってみようと、新宿ロフトでへんてこ音頭だし。この先一体、なにがおこるんだろう…