「生かされている」ということ。

自然農であれ、無農薬・無化学肥料栽培であれ、人が手を加えないとできない野菜づくりは、その量はおいておいても、どうしても原生生物の命を絶ってしまうことになる。イヤシロチ66 の活動中、冬眠中のカエルやミミズを鍬で傷つけてしまうのを目の当たりにしたときにそう思った。

人が食べられる、自生する植物が豊かに育つ環境そのものを絶ってしまった現代では、限られたスペースで、人の手を加えて効率よく野菜をつくらないと、とうてい人は生きていけない。そして結局は「他の命の犠牲」によって、人は初めて生命活動を行えるんだという、根本的な真理に気づいてしまう。

命の重さを全部同じだとすると… たとえヴィーガン食であっても、そのお皿にある野菜たちが慣行栽培でできた野菜であるなら尚更、その野菜たちは原生生物の命を奪ってそこに在るのだということを頭に据えて食事をしたいと思う。そして、そういう観点から、動物愛護的思想から主に畜産業だけを悪とする考え方は、それはもう、ほんの一片のことで。それなら… もし、生き物をひとつの命としてカウントするのであれば、大きな動物の肉をみんなで分け合って、骨も皮も毛もすべて無駄なく生かしづつけ、その尊い命をいただくことに日々感謝しながら、生かされていること… 手をあわせて「いただきます」という方が、倫理的に叶っているのではないかとも思うし、それがハラール的な考え方につながっていたり、昔の人たちはそういうことをあたりまえに思い、無駄な殺生はせずに命をつないできたのだな思う。

だからわたしは… 農薬や化学肥料がないとできない農業をすすめる国。種の独占。過剰な畜産。汚染された水を直接海に流すこと。フカヒレ。フォアグラ。象牙。ソーラーパネル。(…キリがないのでこのへんで)そういう、人間のエゴだけで進んでいることに対して、激しい憤りを感じる。マウナケアのことも、あれはもう、小さな戦争だと思っている。戦争とは人のエゴからはじまるから。

人間が地球のトップにいるように錯覚しているけど… わたしたちはまだかろうじて地球に生かされている。でもこのまま環境破壊を続けて、地球にとって人間がガンだと認識されたら、排除されるのはわたしたち。

バナネイラは小さな飲食店だけど…食を変えれば心がかわる。ほんとうに大切な根本に気づく第一歩が、食。そんなことを信じながら、まだ神さまに強く守られていると思える、きれいな水がまだかろうじて残っている土地でできた野菜を通じて、ひとりでも多くの人の意識が内側からかわるような、そんなひとつのメディアで在りたいと思っています。