ランディさんとの出会い

田口ランディさんの独演会にいってきた。
濃い、濃い、5時間。
会場にいた1人残らずが、最後まで前のめりで聴き入っていた。

わたしがランディさんの作品に初めてふれたのが「できればムカつかずに生きたい」というエッセイだった。そのときのセンセーションは、なんとも言葉にしにくいのだけれど、簡単にいうと「これはわたしが書いたんじゃないのか?」というのが一番近くて、そこにはわたしの心のモヤモヤが、くっきりとした輪郭のコトバになっていて。「ああ、わたしの苦しいのはこれだったんだ」と、自分でも気づかないうちにたくさんたくさん胸にためこんでいたものが、ぜんぶ溶けていけるんじゃないか… と、思えるものだった。

それから、ランディさんの作品にのめり込んだし、ツイッターを読んだり、突如として凄いタイミングで、なにか雑誌の付録?としてついてきた「ラーレの香り」というミニブックがこころに突き刺さったりしたけれど、今日ランディさんが言っていたのと同じく「こういう凄いものをつくるひとはごく限られた一部であって、天才であって、わたしには関係ない」と思っていたからか、あんなに凄すぎるランディさんに会える日がくるなんて、1ミリも考えたこともなかった。でも、元旦、ポトラという「渦」に、おそらくわたしは呼び込まれ、ランディさんと出会わせてもらった。

今日の独演会でランディさんが話してくださった「うまくいくときはすべて受動的」「インスピレーションとアクション」「ある波動にむかって、いろいろな必要なものが集まってきて渦ができたとき、それはとにかくうまくいく」そのすべてが、ここ1年の自分のことだと思った。

バナネイラをオープンできたことは、今思うと、いろんな偶然が重なった、ほんとうに奇跡のようなもので。そして、一年足らずでできた「モエタイ」という、まるでもうひとつの家族のようなコミュニティがあること。秦野とのつながり。大井町との出会い。そして「ポトラ」を経て、わたしのカオをみたランディさんが「ああ、ミオさん!」と手を握ってくださること。どれもこれもが、パラレルワールドであり、ほんとうであり、ただただ「いま」であり。

的に向かっていくのではなく、的に降りてくるものを待つ。平静でいること。たぶん、いま、わたしは渦のなかにいるんだと。

このブログの1本目… 全身にでた蕁麻疹から1年。
バナネイラが生まれてから、もうすぐ1年。

「未来から、いまがくる。」

ちょっと前のわたしにはちんぷんかんぷんだったこのコトバが、最近ちょっとだけわかるようになってきた。

今度またランディさんにお会いできるときまでに、今日の質疑応答で躊躇して聞けなかったことを、自分で悟りたい。縛られることなく、怖れずに。。