わたしの父

本日誕生日の父から送られてきた、北大のイチョウ並木。特に思い出があるわけじゃないのに、ものすごいノスタルジー。

2枚目は、孫たちに愛をこめてつくった落ち葉アートだそうで。父のアートなんて、らくがきの異様に愛嬌のある波平みたいな絵しかみたことなかったから超意外。

3枚目は2年前、彼がはじめてバナネイラに来たとき。

以下、長文注意です。

わたしは父親っ子だったし、いろんなところに連れてってくれた父との思い出がたくさんある。夏のキャンプでは海で銛ひとつ持って沖にぐんぐん泳いでいって素潜りで魚をたくさんとってきてくれた。冬は丘のある公園でエンドレスなソリ遊びとか、スキー場では父の鼻毛が凍ってて大笑いしたりとか。どこかの帰りにわたしはらーめんが食べたくて父はトンカツが食べたくて、でも超絶にお腹がすいてたから目に止まったらーめん屋に入ったらトンカツらーめんがあって、やっぱり大笑いしたりとか。故郷の会津若松にいったときは、車中でずっと懐メロを聞いてたから「夜明けのスキャット」とか「美しい十代」とか「ブルーシャドトウをもう一度」とか「花の首飾り」とかだいたいなんでも歌えるようになった。あるときの下校時間にまるでたまちゃんのお父さんみたいに物陰からわたしの写真を撮ってたり、ガラス工芸の体験でコップの4面にそれぞれ「美緒」「みお」「ミオ」「MIO」って書いてるのをみたときは苦笑いだったけど、寝室で寝技をかけあうように遊んでいて白熱しすぎて壁にヒビが入ったり、バッティングセンターに一緒にいってオロナミンCを飲むのがたのしみだったり、受験前の塾の三者面談の帰りに落ち込んでる父に「大丈夫だよ、わたしほんんっとに、まだちっとも勉強してないから」と励ましながら帰ったりした。

父との思い出をあげればキリがない。わたしは中2から高校を卒業して上京するまで父と2人で暮らすことになったのだけど、彼はずーっとごはんも洗濯もぜんぶやってくれてた。お弁当もつくってくれてた。今思えばほんとうに大変だったと思うし、ずっと仲良しなだけだったのに、ケンカもたくさんするようになったり泣かせてしまったりもした。でもとにかくわたしのことを大好きで大切にしてくれた。

当時の彼より今の自分がお姉さんになってたり、長女も中3になった今、ものすごいリアリティとともに感謝とか尊敬とか切ない気持ちが押し寄せてくる。

当時のわたしはグレることもなく卑屈になることもなく哀しいくらいに自分の状況を冷静に受け止めながら、父と2人の生活に慣れていき、友達ともゲラゲラ笑って過ごしていたけど、たまーに、ふとしたときに、その当時の、やっぱりたまーに、ふとしたときに襲われた「ぽつん」と何処かにいた小さな自分を思い出しては、胸がチクリと痛んだりする。

父から離れて25年。たまに会う父をみて「ああ、わたしはこの人が父親でよかった」と心から思う。頑固だけどあまり概念がない体育会系特有のわかりやすさと自由な父のもとで伸び伸び育ったから、いまの私が在る。孫と犬の写真を撮るために躊躇なく芝生にうつ伏せになったり、Wiiのテニスで白熱して足をくじいたりする父のことを、わたしも大好きなんだなと思う。

父が年老いても、わたしがおばさんになっても、彼は父親でわたしは娘。なるべくながく、ピンピンコロリのその瞬間まで、人生を謳歌してほしいなと思う。