一枚の写真から思うことつれづれ

5年前。夜だけ営業していたバーの昼間に、ベジクエル -veggie de quercus-というヴィーガン カフェとして、ひとりで営業させてもらってたときのイチオシのプレート。朝、十日市場の畑にいって自分で収穫した野菜を、いちばんおいしくなるようにイメージしながら料理して、できあがった数々をこんなふうに盛り付けしてた。盛り付けはフライヤーデザインとおなじで、基本的なフォーマットをつくったあと、そこにアソビや色を差し込んでいくのがたのしかった。ながーいささげ。つるになったままの紫蘇。コンポートしたアイコに、和とみせかけたひじきはレモンと生姜風味。そんなひとつひとつをカウンターに座って嬉しそうに眺めながら口に運ぶお客さんがちょっとびっくりして「これなんですか?」「菊芋です」とかのやりとりや、「お仕事はなにをされてるんですか?」「なんでヴィーガンカフェなんてやってるんですか?」とか、そんな、カウンターとキッチンでのお客さんとの一対一で話す時間は、とても新鮮だった。

ベジクエルの前に任されていたサンズマーケットカフェでは、1日中ただひたすらキッチンにいて、お客さんの顔は食器と食器の間からチラッとみるだけ。スタッフさんも毎日変わってたくさんいて、わたしがお客さんと話すことは滅多になかったような気がするし、イメージ的にはいろんな意味での修行だったり離脱だったり、ただただ職人みたいに1日中野菜と向き合いながら、お客さんを待たせずに提供すること、スタッフさんでも提供できるメニューや盛り付けを考えること、野菜を無駄なく使うこと、端境期には一種類の野菜で3つくらいの別のものにみえる料理に仕上げることなんかだけを毎日考えてた。とにかくアソビがなかった。当時、話すことはなかったけど何度かお店に来てくれていたという何人かのいまの常連さんは、わたしのことを「暗かった」とか「怖かった」とかいう。そうだったと思う。で、きっと、一緒に働いてくれてあスタッフさんたちも、私といてもつまんなかっただろうなって思う。お店がオープンして3日目くらいに「え、待って、わたしは毎日ずっとこれをやり続けるってことなのか?」って気づいたぐらいに、飲食店を続けていくってことをなんにもわかってなかった。ビギナーズラックで、お客さんもたくさん来てて、なのにカフェで働いたこともなく、子どもたちもまだ小さく、とにかく毎日ちっとも余裕がなかった。必死だった。

そんな経験を経て、初めての自分のお店としてバナネイラをオープンすることになって、この5年でようやく、ゆっくりと本来の自分を思い出して、少しずつアソビも取り戻して、怖いとか言われなくなって。お店で料理はしなくなったけど、そのときのエンジンはまだ積んであるから、料理人としてもすぐトップギアにも入れられる(はず)。濃密に過ごした野菜たちのいろいろは知ってるから、彼らと何を合わせたら最高になれるのかわかる(はず)。どんな経験も無駄なことはないんだと、そしてそれを大袈裟にいうならば、いつか亀仙人みたいになれたらいいなって思う、少々カンフー少年みたいな髪型になっている、今日この頃のわたしです。