831パフェからの回想

 

「コンポートしたらナスはぶどうっぽく、バターナッツはマンゴーっぽく、白きゅうりは梨っぽくなるはずだから、それをココナッツ味にして」
「かぼちゃはアイスに、マンゴーはシャーベットに」
「紫じゃがいもはクリームに」

そんな一週間前くらいのわたしのザックリをオーダー票にメモ書きして、831の日の前日にシェフがキッチリとかたちにしてくれてできたのがこの831パフェ。(写真はその前日、試食しているわたしを、ちょっと緊張ぎみにチラ見しているシェフ)

若い頃からずーっと飲食店のキッチンにいて、未だに大使館から料理の要請があるシェフとの出会いは、あざみ野のドッグラン。わたしはベジクエルを立ち上げさせてもらってすぐ位のタイミングだった。

かねてから、引き出しのたくさんある一流のシェフがヴィーガン料理をつくったら、それはそれは素晴らしいものになるにちがいないと思っていて。ヨーロッパなんかはそうじゃないですか。でも日本にそんなお店がなかなかないのは、ヴィーガンとか自然食が「特別な食事=カラダにいいのかも知れないけど高い割にざんねん」っていうイメージが強くて、集客できずにすぐ閉店してしまうからだと思う。

そんなところから… きびだんごもなく鬼退治?について来てくれることになったシェフが、これまでのイタリアンのシェフとパティシエ時代の引き出しをバナネイラで惜しみなくヴィーガン料理に還元してくれることになったので、わたしは要望だけつたえて料理はせずスコーンだけ焼いて逆立ちして、デザイン業でバナネイラを支えつつ。

その原動力は… バナネイラが大好きだといって足を運んでくれている人たちとの繋がりと、バナネイラがあることが大前提でのその拡がり!ほんと、これに尽きる。これは自分でお店を持ってみて、はじめて感じられたこと。

あれ… パフェのこと書くだけのつもりが、長々なっってしまった。「バナネイラを必要としてくれているみなさんのために!」なんて絶対いわない。だってきっと、わたしが誰よりバナネイラを必要としているから!!だからこれから階段をのぼって、栗のスコーンを焼く!!パフェの提供は本日がラスト!!おわり!!

みえるもの みえないもの

わたしが生まれてからずっとあたりまえにそうだった「目にみえるものだけが確かなもの」っていうのは、じつはとっても近代的な感覚で。

人はずーっと昔から、目にみえないものを感じながら、敬ったり、崇めたり… ときとして畏れたり。そしてなにより、それをとても身近な存在として生きてきたのだよな、と。

今のわたしの、その「みえないもの」を感じる唯一のバロメーターは「鳥肌」。(特に、自分が発するコトバに対しての)

そんなことに気づいた(思い出した?)これからは、みえない世界の無限大のパワーを感じながら、物質世界とのバランスをとっていくことが大切だな、と思う。

「生かされている」ということ

自然農であれ、無農薬・無化学肥料栽培であれ、人が手を加えないとできない野菜づくりは、その量はおいておいても、どうしても原生生物の命を絶ってしまうことになる。イヤシロチ66 の活動中、冬眠中のカエルやミミズを鍬で傷つけてしまうのを目の当たりにしたときにそう思った。

人が食べられる、自生する植物が豊かに育つ環境そのものを絶ってしまった現代では、限られたスペースで、人の手を加えて効率よく野菜をつくらないと、とうてい人は生きていけない。そして結局は「他の命の犠牲」によって、人は初めて生命活動を行えるんだという、根本的な真理に気づいてしまう。

命の重さを全部同じだとすると… たとえヴィーガン食であっても、そのお皿にある野菜たちが慣行栽培でできた野菜であるなら尚更、その野菜たちは原生生物の命を奪ってそこに在るのだということを頭に据えて食事をしたいと思う。そして、そういう観点から、動物愛護的思想から主に畜産業だけを悪とする考え方は、それはもう、ほんの一片のことで。それなら… もし、生き物をひとつの命としてカウントするのであれば、大きな動物の肉をみんなで分け合って、骨も皮も毛もすべて無駄なく生かしづつけ、その尊い命をいただくことに日々感謝しながら、生かされていること… 手をあわせて「いただきます」という方が、倫理的に叶っているのではないかとも思うし、それがハラール的な考え方につながっていたり、昔の人たちはそういうことをあたりまえに思い、無駄な殺生はせずに命をつないできたのだな思う。

だからわたしは… 農薬や化学肥料がないとできない農業をすすめる国。種の独占。過剰な畜産。汚染された水を直接海に流すこと。フカヒレ。フォアグラ。象牙。ソーラーパネル。(…キリがないのでこのへんで)そういう、人間のエゴだけで進んでいることに対して、激しい憤りを感じる。マウナケアのことも、あれはもう、小さな戦争だと思っている。戦争とは人のエゴからはじまるから。

人間が地球のトップにいるように錯覚しているけど… わたしたちはまだかろうじて地球に生かされている。でもこのまま環境破壊を続けて、地球にとって人間がガンだと認識されたら、排除されるのはわたしたち。

バナネイラは小さな飲食店だけど…食を変えれば心がかわる。ほんとうに大切な根本に気づく第一歩が、食。そんなことを信じながら、まだ神さまに強く守られていると思える、きれいな水がまだかろうじて残っている土地でできた野菜を通じて、ひとりでも多くの人の意識が内側からかわるような、そんなひとつのメディアで在りたいと思っています。

高田宏臣さんとの出会い

「ダーチャ」という言葉を初めて知った。それはまさに、ここ数年漠然と描いていたカタチ。そして、イヤシロチ66(自然農体験グループ)の活動は、そんなことの一部だったんだなぁと、あらためて。

先日わたしの目の前に飛び込んできたのは、そのダーチャをカタチにし、千葉で活動されている造園家・「地球守」高田 宏臣さんによる士気山ダーチャ。WSの内容は、廃材で井戸を掘る作業とコスメづくりだったのだけど… 学びとしてはそれはもうほんの1ミリのことであって。

高田さんはスコップと鋸鎌ひとつで森を再生(循環)させられることを教えてくれる、大地のお医者さん。その自然への愛は、再生された自然環境豊かな空間のいろんなところに点在していて、すべての場所で風が通り、エネルギーが高く、ハエはもちろん蚊もほとんどいない。

水脈をさぐって、環境を壊すことなく作られた湧き水の出口。間伐材を使った小屋、五右衛門(ドラム缶)風呂、大地分解還元式のバイオトイレ、薪での炊飯、調理。

この半年間のイヤシロチ66 の活動で、ダイナミックな自然に実際に触れて体感し、さらに経過を観察し、目に見える変化と内なる感動を味わうことで、やっと真の理解が深まるものなんだなと痛感できたところに、そこがさらにリアルに生活に結びつけられる… いわば縄文時代の人々の暮らしをここでみた気がした。

1コミュニティに、1つの山。水脈。種。そしてそこに不可欠なのは、人の智慧と慈愛。貨幣なんてなんの意味ももたないんだなってこと。

目からウロコ… って簡単にいいたくないけど、まんをじして使います。そして、わたしのまわりにいる先人!?の、竹で籠をつくったり、ミツバチを育てたり、すでに自給生活に向かった家庭菜園を持たれていたり、羊を飼っていたり、草木染めをしていたり。そんな方々へのあらためての敬意とともに、だけど、そんな全てを覆してしまう大きなエネルギー… 国や政治や権力にも目を向けながら、バランスよく今を生きていかなければという思いが強まった。

いつかの、本当の「イヤシロチ66 」に向かって、いまの自分にできること… 「場」から生まれる「縁」。そんないろいろを、スピードアップでまとめていきたいと思う。

高田さんとのご縁のきっかけとなった、地球守さんの勤労奉仕のお弁当づくり… も、バナネイラという場があったことと、いろんな人とのご縁によるもの。これまでのすべてへの感謝と、未来への期待を込めて。

バナネイラから地球規模の…

バナネイラが一般的な飲食店と大きくちがうところは… メニューを考えてから材料を注文するのではなく、農薬や化学肥料をつかうかわりに、手塩をかけて野菜を育てていらっしゃる4人の方々が届けてくれる野菜に合わせて、毎日の料理を考えるところだと思う。

つまり… バナネイラにご来店される方は、自動的にこの素敵なみなさんの農業の応援をすることにつながる。たくさんの方が来店することで、バナネイラはこの方々からより多くの野菜を購入することができ、この先も安心して無農薬・無化学肥料栽培をつづけられる。

それがどんどん拡がって、パワー溢れる野菜をたべることで病気とは無縁になる人もどんどん増えて「あれ、なんかやっぱり、お肉は極力食べない方がいろいろいいんじゃない?」って気づく人が増えて、それが「100人目の猿現象」になった暁には、畜産の需要が減って、地球温暖化が食い止められて、かけがえのない資源も守られて、多くの動物の命が助けられて、地球のみんなが健康な身体を手に入れることができる!!

興奮してだいぶスケールの大きな話になったけど、カトウは鼻息荒く、真剣にそんなことを思っていたりします。

 

陰と陽

世界は陰と陽のバランスで出来ている。
男と女、昼と夜。
どちらかが欠けてしまえば、バランスが崩れる。

陰と陽はどちらが正しいとか間違えてるのかの善悪ではなく、その偏った考え方が分離を生み出してしまうんだと。

そして陰と陽は、調和することでバランスが整う。

こういう極端な思想で動く人がいるということは、もう片方にも逆の極端が存在しているということ。

分離して、対立して、どちらかを潰すという思想… 例えば、原発もそう。

そんなことが起こっていることにも、きっと大きな意味があって。こういうことが明るみになることで、今までなんにも考えないでいた人の、何かのスイッチが入るかも知れない。

どちらかに極端に寄せようとするのではなく… あらゆるものをひとつにするにはどうしたらよいか。価値観の尊重。エゴでも押しつけでもない、お互いに調和していくにはどうしたらよいかを考えていくことが、あらゆるところで必要なのだなと思う。

バナネイラはヴィーガンのお店ということで、まあ、極端なのだけど。いつか、焼肉やさんとヴィーガンのお店が半々くらいになった暁には、きっと、世界はいまとはちょっとだけ違うものになってるんじゃないかなぁ… それまで生きていられるかなぁ…

ヒーリングの役割について

さまざまな感情の根底をさぐっていくと… いままでは「愛」と「悲しみ」のふたつに絞られると捉えていた。
でも「神との対話」を読んで、「悲しみ」より「不安」の方がしっくりくる。と思ったので、備忘録として。

「不安」
ちぢこまり、
閉ざし、
引きこもり、
走り、
隠れ、
蓄え、
傷つけるエネルギー

「愛」
広がり、
解放し、
送り出し、
とどまり、
明るみにだし、
分け合い、
癒すエネルギー

スターウォーズでいうと、ジェダイとシス。
大統領でいうと、ムヒカ大統領と… (あ、いっぱい浮かぶ…)
怒りや憎しみなどの強い負の感情から生み出される、攻撃的なシス。穏やかな感情から生み出されるジェダイの根底は「愛」。
意地悪な顔をしていた時代のわたしって、振り返れば完全に「不安」に負けていた。ダークサイドにいた。
正体のわからない漠然とした不安で… 自分を閉ざしながら、誰かに否定されると、攻撃するか、逃げる。承認欲求の塊。これは、いまでも滞ってるなぁ…と感じるときには、たまに顔をだす。
そんな不安から逃れるために、ヒーリング… ネガティブな感情や心の傷を、軽くしたり消したりする技術(アロマとかヒプノとか)のジプシーになっている人をたくさん見かける。
でも、現状を変えたり今の苦痛をやわらげたりすることが目的であるなら、ヒーリングだけでは解消しない。癒されたと感じるのは、そのときだけ。(例えるならステロイド)
ヒーリングに依存してしまうと、問題を引き起こしている原因(不安)はずっと解消されることはなく、経験を重ねて魅力的になる機会をなくしてしまう。
望まない現状や今の苦痛をもたらしている、本当の原因(不安)は何なのか?それに向き合わないで、ただただ「ワクワクすることだけしよう」とか「常にポジティブでいよう」とかでは、ただただ本当に癒されるときを先延ばしにするだけで… 大切な時間とお金をたくさんつかうことに。
ヒーリングは、自分の問題と目的が明確な人が、ちょっと不安に傾いてしまったときに、落ちついて自分と向き合えるように、あくまでサポートとして使うときだけに効果があるんだと。その使い方なら、ふっとチカラが抜けたときに、問題の本質がわかったりする。
わかってるけど、できないこと… そこに全てがあるんだよな。。(←最後、自分にいちばん向けている)

堀内亜紀さんと「山ノ神」

「1枚の絵の働きを、会期中にこれほどまでに実感するのは、私自身初めてです。」
約1年半前、その場から動けなくなるほどに惹かれた猿田彦大神… この方を自動書記に近い形態で描かれた堀内亜紀さんに、ようやくお会いすることができ。

その日の夜から朝までずっと、ギャラリーを離れる直前に飛び込んできた「山ノ神」という作品があたまから離れず、ずっとそわそわどきどきしていて。亜紀さんにそれをお伝えしたところ「山ノ神の磐座は三輪山にあります。」というメッセージをいただいた。

そのたったひとつの情報から渦のように起こったシンクロの嵐は… 文章にはできない。そわそわどきどきだった胸は、もう苦しくて、気を抜いたら涙がでてきてしまうほどになっていた。それがなぜなのかはわからないけど、もうそんなことはどうでもよくて、とにかく山ノ神を手元に置きたくて、もうそうしないとおかしくなりそうだった。

まさか、自分が絵画を購入するなんて。呆然としたわたしのところに、亜紀さんからいただいたメッセージが、冒頭のもの。そして、バナネイラ(というより猿田彦さま?)にまつわる多くの方々に、わたしと同じようなシンクロが、それぞれ別の絵画に、同時に起こっていた。

そのシンクロがなにを意味するのかを… 論理的に意味づけすることは全く意味のないことだけど。ただただ、バナネイラに在る猿田彦大神が、それぞれの道案内をしてくれた… ということだと思う。それぞれが惹かれた絵画はきっと、1年半前のわたしの猿田彦大神のように、なにかのスイッチというか、起爆剤のようなもので。そして、そんなとてつもないものを亜紀さんさ描ける方なんだということ。

昨日「バナネイラさんのサルタヒコさま、場所、土地、繋がる方々にご挨拶したく…」と、その日に奈良にお帰りになるのに関わらず、亜紀さんがバナネイラにいらっしゃった。そしてそこには、わたしに猿田彦大神を預けた小宮さんの姿も。さらに今回スイッチが入ってしまった多くの友人も集まった。そして… わたしが焦がれた山ノ神も。さらになんと、猿田彦大神の妻となったアメノウズメさまの絵画まで。

帰り際、亜紀さんがハグをしながら… わたしの背骨にとてつもなくあたたかいものを注いでくれたのを感じた。それはもう、慈愛とかそんな言葉では足りない、わたしのなかに残ってるドロドロしたものを全て融かすほどのエネルギーだった。涙腺の蛇口が壊れそうになった。

無限なものは、無限なままに任せるしかない。ただただわたしは、大いなる存在を一枚の絵画として納めることができる亜紀さんと、なにかのスイッチを入れなくてはならなくなった人たちとの架け橋になるということもサブミッションに加えて、これからもずっとバナネイラを守りつづけよう。そう、心に強く置いた。

芸術というものの役割について思う

この数ヶ月の間に、いままでのサイクルで考えるとありえないほどに、さまざまなプロフェッショナルというか、神さまみたいな方々の「表現」に触れた。

ウォンウィンツアンさん、井上陽水さん、坂本紀男さん、永積タカシさん、じぶこんさん、水野みさをさん、近藤良平さん、西川克己さん、山本安朗さん、そしてこの絵画の堀内亜紀さん…

音楽、ダンス、絵画、アート…

それはまとめると「芸術」というものになるのだと思う。

音楽なら歌詞や音程、ダンスなら技術や柔軟性、絵画なら精巧さ、アートなら色使い… そういうのが素晴らしく、評価されている人は、世の中にたくさんたくさんいる。

でも… 観たり聴いたりした瞬間に、自分の奥底にある本質そのものに触れてくるものには、なかなか出会えるものではない。

経験したことのない内容の歌詞なのに、見たことのない建物なのに、姿かたちのないはずの神さまなのに、知らない言語なのに… なぜかその背景や情景や感情が、ありありと浮かぶ。懐かしいような気持ちになる。なんにもわからないのに、なにかを思い出しそうになる。

そんなふうになるかならないか… の、その差は。

それは、そのアーティストさんがのせたものと、自分の根底にあるものが、魂レベルで共鳴するかしないか… なんだと。そして… もしかしたら、自分を解き放って、自分の本質に自分自身がつながったときに、初めて魂がゆさぶられ人生すら変えてしまうものに出会ったりするのかもしれないなぁ… と。

こんな短期間で、たくさんの素晴らしい方々の表現に触れ、共鳴することができたことを幸せに思いつつ… この濃縮したいろいろのタイミングは、きっと自分の表現方法について、あらためてちょっと、落ち着いて考えるときですよー?ってことなのかなぁ…なんて、思ったりして。

そんなことに気づかせてもらった… 猿田彦大神につづいて、わたしが出会えた、この三輪山の「山ノ神」。自動書記のように描かれる、大いなる存在に選ばれた堀内亜紀さんの作品には、きっと、どの人も必ず惹かれる一枚が存在すると思います。

堀内亜紀さんの個展は、本日(5/29)16:00まで。
馬車道駅の5出口からすぐの、大津ギャラリーにて開催されています。

星の塔門〜0からおのずと〜堀内亜紀個展

わたしの理想のコミュニティ

漠然と思っていた「理想のコミュニティ」について、なんだかおさらいみたいに整理ができる夢をみたので、忘れないうちにざざざーっと…

【理想のコミュニティ】

・ひとりひとりが、ありのままで安心できる居場所

・情報交換、知識のアップロード、活性と熟成

・依存のないイノベーションが、自然に起こって拡がっていく

価値観の似てる人や目的が同じ人とが、風通しよくゆるやかに自然につながっていく。個が自分の足でちゃんと立ちつつ、それぞれにきちんとした敬意と愛情を持ちながら、不即不離だけど、ときに同じところに行きたかったり、誰かに会いたかったり、なにかを始めたくなったり、常にアイデアがうまれたりする。知識より知性が生かされる、みんなが主役の、みんなの場所。

自分が自分を認めている人たちと、おいしいものをたべて歌ったり、カラダを動かしながら笑っていたら、そこには素敵なことしか起こらない。そして、そんな渦には、また素敵な人が引き寄せられてきて、その人が加わることで刺激や感動が増え、さらに光を放つコミュニティに進化していく。